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ドレスシャツ(日本の歴史)

日本におけるシャツの始まりは明治5年(1872年)まで遡ります。

この年代を見て皆さんはどう思われますか?

「西洋に比べると意外と最近なんだな」「元は着物文化だったことから考えるとこれくらいか」と二極化する事が多いですね。シャツを今まで着た事がないという人はいないと言える程ファッションアイテムとして欠かす事の出来ないシャツの歴史を日本に絞って見ていきましょう。

目次

日本の洋装化のスタートは明治5年

始まりは大礼服「洋装化」し必要となったからです。

明治時代に宮中(きゅうちゅう)の饗宴(きょうえん)に参加する人たちが着用する格式の高い礼装が洋装を取り入れ変更したのです。

1872年(明治5年)装束類を廃止

1886年(明治19年)12月に改定文官大礼服でより細かな規定が確立しました。

明治といえば明治維新や文明開化という言葉は学校で習いましたよね?

なんとなく…
西洋文化を取り入れて近代化を進めた改革だっけ?

まさにその通り!ファッションの洋装化というのも明治時代に大きく変わっていったのです。

洋装化が一般の人にも普及したのは大正時代になってから

明治維新や文明開化で一気に洋装に変化したのか?というとそれは時間がかかり初めは皇族や官僚・軍服の制服から始まり、徐々に郵便局・鉄道などの職業の制服にも定着していきました。

しかし、一般の人たちは変わらず和装でした。

特に女性の洋装化はなかなか進まず、明治16年鹿鳴館が開館し海外留学をして洋装に触れていた人や外交官夫人の一部の女性がドレスで参加し洋装が注目されます。

そこから少しずつ時間をかけて一般の人にも洋装が広まりますが一般の人にも普及したのは大正時代になってからなのです。

日本のドレスシャツは横浜から

洋装化は宮中礼服制定が「洋装」となり必要となったからでしたね?

ちなみに廃刀令が発令したのも明治9年

宮中礼服の洋装に合わせるためにシャツが着られるようになったというのが起源とされます。

シャツショルツシュルツシルトなどと呼ばれていたそう。

日本で初めてドレスシャツを取り扱い始めたのは「大和屋」という洋品店になります。

「大和屋」は横浜にあり英国より輸入されたシャツを解体し研究していました。

元は注文シャツを取り扱っていましたが明治9年に横浜弁天通りに店を出します。

当時のシャツは1枚仕立てで糊付けされパキッとした胸とカフスがついた物でかぶりものでした。

あなたはワイシャツ派?カッターシャツ派?

日本で「ワイシャツ」と呼ばれる由縁

当時輸入されるシャツは全て「white shirts」ホワイトシャツでした。

そのホワイトシャツが訛りワイシャツと呼ばれるようになります

ワイシャツという言葉が広まり一般化されるようになったのは明治末から大正初期の事です

明治末から大正初期まではドレスシャツは貴族や富裕層、政治家が着用する物であり

現代のようにサラリーマンの着用が一般化し普及するようになったのは明治40年代の事

これにより「ワイシャツ」という言葉の普及していき一般化していきます。

また関西地方では「カッターシャツ」という呼ばれ方をしますが、これはスポーツ用品ブランドであるミズノ(当時:美津野)の創業者である水野利八 氏が第一次世界大戦の勝利を記念し大正7年(1918年)頃「勝ったシャツ」という言葉を「カッターシャツ」と名付けたという説が有力とされます。

当時ワイシャツという言葉が取り外し可能な衿とカフスを意味していた事から衿とカフスが初めから取り付けられたシャツをワイシャツと区別するためにカッターシャツと呼んでいた時代もあったそうです。

シャツの躍進は戦後

これまでの日本でのシャツは衿なしでしたが、昭和の初めアタッチトカラー(取り外し型)という形で衿が付きます。なおこの時はお袖口のカフスも取り外し型でした。

アタッチトカラーカタログ

これは日本独特の特徴というわけではなく、世界的に見たシャツの歴史でも衿とカフスは取り外し型からのスタートだった事から自然な事と言えるでしょう。

ドレスシャツが躍進するのは第二次世界大戦後。その形が進化します。

取り外し可能なアタッチトカラーから初めから衿の付いたシャツへと変化し今までは糊付けされ硬い風合いだったシャツが糊付けがされないシャツが一般化していきます

これには、注文シャツの時代から既製シャツの時代に移った事が非常に大きく影響しています。

また、第二次世界大戦後シャツはファッション界において主要なアイテムとなり技術の進歩によりシャツの進歩は加速します。

技術の進化とシャツの進化

昭和27年(1952年)洗濯を繰り返しても縮むことのないサンフォライズ加工の誕生

1967年ピーコック革命

サンフォライズ加工とは:薬剤を使わないで綿織物を経糸の方向に圧力をかけあらかじめ縮ませ、防縮性を持たせる加工のこと。デニムなどでよく見受けられる加工。

昭和33年(1959年)ポリエステル綿混が使われることにより現在でも愛されるノーアイロンシャツが誕生。

昭和36年(1961年)「セミスリーブシャツ」として半袖シャツが登場。これにより暑さの厳しい夏でもシャツの着用が可能となりビジネスシーンに革命をもたらした。

そして、1960年代後期メンズファッション界に大きな考え方がはいいてきます。「ピーコック革命」です。男性ももっと服装に個性を取り入れようとして米国のディヒター博士が提唱し、雌よりも雄の方が華やかな色彩をもっている孔雀からピーコック(孔雀)と呼ばれる。

日本でもこの影響は大きく昭和42年(1967年)「ピーコック革命」により男性ファッションも色鮮やかになっていきます。これによりドレスシャツも一気にカラフルになります。

昭和54年(1979年)「省エネルック」というものが政府より提唱されビジネスシーンのみでなくカジュアルシーンでも両方着用できるシャツが誕生し現在に至ります。

まとめ

日本には着物文化という素晴らしい文化がありますし、

鎖国などの政策により海外との交易を制限し植民地とされぬ様自国を守ってきました。その分ファッションにおける洋装化も遅れますが、鎖国により得たものも多く生糸の国産化が加速し質の良い生糸を作る技術も発達します。これにより日本は、世界有数の生糸生産国となっていきます。

今は何気なく当たり前に着ている服にも誕生した意味があり国や時代によってその意味は変わります。

日本におけるシャツも横浜の洋品店が解体し研究することによりその歴史をスタートさせます。

そして現代もそれぞれのデザイナーたちが自国や育った国の影響を受けながら自分の思想や理想をファッションという形で表現し時代を作っています。

ファッションデザインとは時代に敏感に生きている

時代の求めているものは力のあるデザイナーのファッションショーを見た方が時代を感じる

山本耀司

今のファッションは現代の時代を、過去のファッションは当時の時代を反映しています。

今回は日本にフォーカスしてシャツの歴史について紹介してきました。

さて、我々が生きるこの時代は何を求めどの様なデザインになっていくのでしょうか。

《日本におけるドレスシャツまとめ》

・明治5年宮中礼服制定が「洋装」となりシャツが着られる様になる。

横浜にあった「大和屋」の英国より輸入されたシャツを解体し研究し取り扱いスタート。

・第二次世界大戦後、注文シャツの時代から既製シャツの時代に移る。

・昭和27年、サンフォライズ加工の誕生。

・昭和33年、ノーアイロンシャツ誕生。

・昭和36年、セミスリーブシャツ(半袖シャツ)が登場

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